やまびことラグビーの歴史


  
菅平高原の夏といえばラグビー。
  やまびこも多くのラガーマンたちに支えられて今日に至っています。
  「ラグビーの宿」としてスタートした、その歴史を振り返ってみましょう。

  
 昭和44年  初代がホテル前にグランドを造成 
  この当時、葦や熊笹が覆い茂っていた湿地帯を開拓した畑で高原野菜を
  
育てていました。縁あって、故綿井永寿氏(元日本体育大学学長)から
  グランド要請を受け、その畑を整地して、土グランド1面を造りました。


 昭和45年  日本体育大学ラグビー部の夏の合宿所となる 
  「やまびこ山荘  ラグビーの宿」のスタートです。 
  
日体大ラグビー部の夏合宿が行なわれることになってから、20年ほどの
      間続きました。大学や高校等のラグビー部顧問で、日体大卒の先生方の中には、学生時代
      にやまびこで合宿されたという方も多いようです。
      余談ですが…
      たとえば、関東学院大学の春口監督もその中の一人。学生時代はもちろんのこと、卒業後、
      代表合宿のコーチスタッフとして、何度もお見えになりました。つまり、春口先生との交流は
      やまびこが「ラグビー合宿の宿」として新スタートを切った頃からの、長いお付き合いです。
      ”お客様”というよりも、”仲間”というか、”家族”というか。とにかく親しくさせて頂いています。
      そんなご縁で、関東学院ラグビー部の合宿を、やまびこでお引き受けするようになりました。
      以来ずっと、関東学院ラグビー部と春口監督を、遠くから見守り続け応援し続けてきました。

  
 
 昭和46年  日本代表チームの夏合宿 スタート 
   
当時ラグビー協会事務局長をしておられた綿井先生の助言もあり、
   日本代表の夏合宿は、昭和42年から菅平へと場所を移しました。
   「各宿で持ち回り制にしよう」という話で始められ、昭和46年の夏
   には、やまびこで行われました。
   合宿を受けるにあたって、土グランドからの泥を館内へ持ち込ま
   れないようにと、『シャワー室』を設けて、練習後に水シャワーを
   浴びられるようにしたところ、なかなか好評だったそうです。
   ホテルのすぐ前にグランドがあるので、移動時間もかからず、
   快適なことも受けたのでしょうか。
   選手たちは「毎夏やまびこで合宿したい」と言って、協会を困らせたとか?!
   それから30年。代表関係の夏合宿は今でも毎年、やまびこで行われています。
     ちなみに、シャワー室は、今もそのまま残っています。芝グランドが主流となり、泥まみれに
     なることも少なくなった現在では、練習後は大浴場へ直行。水シャワーを使う人など誰もおら
     れず、シャワーが並ぶ辺りは用具置場と化していますけれど。


 
 昭和63年頃〜  土グランドから芝グランドへの移行
   菅平高原ではどの宿も、グランド造成や手入れを自分たちの手で心をこめて行なっています。
   各宿のグランド数が増える一方で、少しずつ土グランドから芝グラウンドへと移行し始めました。
   
   短かい夏のシーズンが終わると、来夏シーズンまでの間はひたすらグランドを育てます。
   土グランドも石拾いが大仕事でしたが、芝グランドはさらに大変な時間と労力がかかっています。
   土壌を作り、種まきからはじめる作業。ひと冬の間、豪雪の下でじっと耐えている芝生たち。 
   春の雪解けを待ち、芝の成長とともに新たに土を入れ、種をまき肥料を入れる。その繰り返しです。

やまびこ第1グランドは、花園を目指す高校チームはもとより、大学や
大学や社会人チームなど、たくさんのラガーマンの夢と汗を見続けて
きました。峰の原に造成されたグランド3面(第3・4・5グランド)は、
根子岳の稜線にそのまま続く「日本一標高の高い場所にあるラグビー
グランド」です。
  少しでもいい環境で有意義な合宿をして頂きたい。
  夢を追い続けるラガーマンたちのために…。
  ラグビーの宿としてのやまびこは今日も頑張っています。